上のようなタイトルで、私の友人がニコンサロンで三人展を開くことになり、その案内が来ました。
青山さん、平さん、三浦さんが、それぞれに60-70年代に撮影した写真展です。
何でも、同じ時期にやはりニコンサロンで、これも友人の須田一政さんが、写真展を開くので、期せずして「50歳以上の爺が20代であった頃の回顧展」の様相を呈しています。
その会期中に私を加えたトークショーが企画されたので、それに私も飛び入り参加することになりました。
何しろ、私の20代というのは、こう見えても新人写真家として活躍していたわけで、その勢いはヒロミックスや川内や佐内の比ではありませんでした。
1970年と言えば、23年前ですが、当時はピカ一のカメラ雑誌「カメラ毎日」が1月号で「二十代の眼」という特集を組んで、その中には、亡くなった鈴木清さん、須田さん、私などがメンバーで全部で8名ほどでしたが、須田さんは
29歳でかろうじて「20代の眼」にひっかかったな、という印象が当時は強く残っています。
その須田さんよりも7歳年下が私ということになると、弱冠22歳で写真界デビューでした。
さて、当時、何が写真界で話題であったのかと言うと、旧体制と新体制との対立があり、それが面白かったのです。写真は最近では、お洒落なファッションですけど、当時は政治そのものであったのです。(最近のふやけた政治を見ると、この比喩も何の効果もないことが分かりますが)
我々、若いモンは旧態然としたジジイの写真など認めないという、世代の断絶の元にありました。
つまり、あれから30余年が経過して見ると、その事が所謂、団塊の世代の問題点にもなっているわけですが、もともと団塊の世代という言葉が、オリジナルに使用されたのは、私達が20代であった頃の、当時の若者を指す言葉であったことをまず指摘して置きます。
つまり、闘争好きな団塊の世代は、今の若いモンみたいに、「アラーキーや、飯沢などのジジイの好みに合わせて、先回りしてコンテストに応募」などという高等テクニックなどは使いようもなく、ただただ、自分の行く道を直進するのみで、周囲の批判は最初から否定しているような所がありました。
団塊の世代の代表と言えば、市ノ瀬が居ました。
無鉄砲にカンボジア方面に飛んで行ったまま、戻らなかった市ノ瀬は、映画化、 ドラマ化されて有名になりましたが、あの市ノ瀬の行動の軌跡は団塊の世代の典型ですね。
ホーチミンの革命博物館のヴェトナムを記録したジャーナリストのコーナーに、 くだんの市ノ瀬の作品と、彼が使っていた、そこに銃弾が命中して真っ二つに
なったブラックのニコンFの写真を見せられた時、私などは自分の20代の時代の断面図をそこに見た想いがしました。
これが昨年の春の話です。
ニコンFというカメラは、やはり自分達の青春の時代のカメラであったな、と再確認したのですが、あれから30余年が経過して、そのニコンFはすでに退役したばかりか、依然として自分の仕事カメラの一部になっているのですね。
そのシャッター音を聞いて見ると、往年のデモに荒れた東京の光景がまざまざと 脳裏に浮かび、眠っているような東京の下町の光景も眼に浮かびます。
ニコンFはシャッターが静粛だから、スナップに向いているという、当時のカメラの真実はまだ生きています。
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