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までドウゾ!

最近の事は知りませんが以前は「五月病」という病がありました。新しい環境に進学したり就職したりした新人が入社や入学で慌ただしい4月から1月経過して、それまでの目標だった環境に慣れてしまうと突然、その進路を見失ってしまう憂鬱になるという病です。なかなかに文学的なのでこれは俳句の季語にもなっているかも知れません。
私の遙か昔の五月病を振り返ってみれば、日本デザインセンターに3百倍の競争率を突破して入社したのはよかったのですが、入社から3日目にもはや辞めたくなったのが私でした。
「石の上に三年」とは古風な言い方ながら、ともかく3日で辞めるのも3年で辞めるのも結局は同じことであろうと、考えてそれで1970年から73年までデザインセンターの写真部に在籍したのです。これは後年に非常に為になりました。生きた写真大学ですね。
私の前にも後にも唯一のサラリーマン生活(実際には広告現場のカメラマンですからちょっと意味あいは異なりますが)がこの3年間でそれから、つまり1973年から現在まで32年間は完全なフリーで喰うや喰わずというわけです。もっとも同年代の「恵まれた環境の人々」はここらで定年退職であとは悠々自適ということでしょうが、当方にはそのようなゆとりはありまんからこれからのずっと仕事の修羅場に立つ覚悟は出来ています。

それはともかく、カメラの5月病ということです。
日本デザインセンターに就職した1973年のもっと前、1966年に日大芸術学部写真学科に入学した私で入学当時はぴかぴかのライカM2(実際にはブラックペイントのライカM2がすり切れて後にぴかぴかになったのですから表現としては変ですけど)と新品のニコンFを手にして「写真表現の未来」に燃えていたのは良かったものの、1月後には例の五月病にかかり、かなり憂鬱な日々でした。つまり日大写真学科は自分の期待していた内容の教育ではなく、江戸時代から継続しているのではないか、と思われるほどの旧泰然としたカリキュラムであったのに失望してしまったのです。
そんな時、大学のある江古田から関東バス(これは赤と白とに塗り分けられたボンネットバスでした)に揺られてまだ戦後の焼け跡が残っているような、中野駅の北口からほど遠からぬ場所の中古カメラ店でオリンパスワイドを購入したのです。
ライカのような気張った高級機ではなく、35ミリレンズを付けたワイドカメラというのは、実は当時でもすでに時代遅れになったいたカメラであったのだけど、その役済みになっていた往年の名機で街を撮影するということで、私は私の五月病を克服したのです。
これが私のワイドカメラでの町歩き事始めでした。

私の35ミリワイドカメラはその後も機種が増えて、さっき書いたオリンパスワイドには明るいF2のレンズが付いたワイドスーパーとか、薬のコーワが制作したカロワイドという曲線で構成された、1950年代としてはかなりデザイン的に優れたカメラも愛用しました。カロワイドにはプロミナー35ミリF2,8のレンズが付いています。プロミナーは60年代にはプロ用映画機材のレンズで有名でした。東京オリンピックの記録映画もプロミナーで撮影されています。

時代が経過しても5月となると、往年の五月病を救ってくれたワイドカメラのことを思い出します。

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