私の最後にフォトキナに行ったのは前世紀の終わりの1998年でした。1年置きに開催される世界的なカメラ見本市フォトキナは1950年代は「日本のカメラが世界のレベルに達する努力の場」であり1960年代には「日本のカメラが世界一のレベルに達した晴れ舞台」であり1970年代は「日本のカメラが世界一の地位を確保する為の正念場」であったわけで、時代によってその会場に於ける日本のカメラの役割も変わってきました。
それが1980年代にはこれからずっとフィルムのカメラはそのままに進化するであろうという「楽観論」の中にあって、カメラそのものが、自己の進化の方向を見極めることが難しくなり、同時開催のフォトキナの他の展示会「ハイファイ・ケルン」などとタイアップ開催を模索した時期もありました。
日本ではフォトキナだけが有名ですが、これはケルン見本市会社がケルンのメッセゲレンデで開催する年間何十か開催される国際見本市の一つなのです。
1980年は無事平穏のうちに済んだフォトキナですが、1990年代になってからはそれこそ波瀾万丈、つまりその土台のドイツが東西に分断されていたのが、1990年のフォトキナの初日10月1日に合併したので、ドイツ国民の長年の悲願は果たされたとは言うものの、その時はすでに遅く、カメラ天下はドイツから東に1万キロ彼方にある「目のつり上がった島国の連中」が支配する所となっていたわけです。
しかしフォトキナの混乱はそれだけでは収まらず、20世紀の終焉の辺りから、それまでのフィルム王国を脅かす「電子式カメラ」(これは当時の呼び方)が台頭してきて、今の世の中ではその「デジカメ」が政権を奪取した歴史は今更言うまでもありません。
過去25年間というもの、フォトキナに通い続けて「カメラの歴史」を継続して見て来た私ですが、1998年を最後としてフォトキナ詣でを止めたのは、インターネットの時代ですから、わざわざ欧州まで行って換気の悪い大ホールの狭いプレスルームで「外人さん」に混じって取材をすることもあるまいと思ったからです。
私のカメラの雑文書きは、別に「瞬時を争うトップ屋の仕事」ではありませんから、ウエブ上の「世界同時配信」のカメラニュースを読むだけで事足りるようになりました。
さて、フォトキナ取材が私にとって急に面白くなったのはあれは1994年だったと思います。フォトキナ会場は1号館から14号館くらいまである広大な敷地ですが、文字通り「見本市」ですからサンプルばかりで「売っている商品」というのは原則的にはありません。つまり買い物の欲望を満たすには「サハラ砂漠状態」であったわけです。
ここに頭の良い英国人が居て、会場に中古カメラ店を開店したのでした。
倫敦近郊のクライドンという街は昔から飛行機の発祥の地であり、各種の航空計器を生産するメーカーがあり、そのメーカーが「片手間」に生産したカメラもあって、なかなかの写真機のメッカなのです。そこの中古屋さんが史上初に会場に店を出したので、これは大当たりしました。
そこで混乱したのは当時のドイツはまだドイツマルクの時代ですが、なにしろ英国の店ですから値札はスターリングポンド表示で、実際の数字(ポンド建て)を4倍にしないとドイツマルクにならないので、数字だけ見るとかなり安いと、勘違いするお客さんもいたということでした。
我々、フォトキナ取材陣は無論、仕事第一主義ですから取材中は一心不乱に働いて、仕事の後に夕方にケルンの街に繰り出して、そこで中古カメラ屋見物をするのが楽しみであったのですが(そのためにフォトキナの会期中はカメラ屋さんは午後9時頃まで営業)会場内にお店があるのは、もっと便利なわけで、そこで要りもしないカメラを山のように買ったものでした。
まあ、不必要なモノを買うのが買い物の醍醐味ですが、秋風立ち始める時期になると想い出すのは前世紀のフォトキナ会場の中古カメラ店のことです。
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