ライカに始まりライカに終わる · 連載コラム(市川泰憲)
第四十四回「オリンピアゾナー18cmF2.8を使ってみました」
1. 歴史・機構・蘊蓄(エッセイ・解説)
何が幸いするかわかりません。実はそれ以前にOlympia Sonnar18cmF2.8に興味があり借用していましたが、あまりにも重量級であるために撮影を躊躇していました。その間に所有者の許可を得て、クラシックカメラ・レンズ遊びの大先輩である柳沢保正さんの手に渡ると、柳沢さんは連日軽々と持ち歩き、なんとオリンピアゾナー18cmF2.8を使い街中でスナップ撮影をしたのです。これはショックでした。柳沢さんは、私よりひとまわりも年上なのです。おかげでオリンピアゾナーの試し撮りをと勇んでいた気持ちも一気に萎えて、1年半ぐらい部屋の中に放置していたのです。ところが平昌オリンピックの始まる1か月ぐらい前に、所有者の森亮資さんから、そろそろ返して欲しいという連絡が入ったのです。聞くところによると、“コンタックス⇒ライカM”のマウントアダプターが1つしかないので、2つあったほうが便利なのでとりあえずマウントアダプターだけでも返して欲しいというのです。
それまでも何度か試用しないまま返そうかと考えましたが、タイミング的に平昌オリンピックの開始直前でしたので、この機会を逃したら、たぶん一生オリンピアゾナーを使う機会はないだろうと、借用延長をお願いして、一念発起したのです。
とはいっても韓国まで出向き、オリンピック競技を撮影したのでなく、身の回りでの撮影ですが“ゾナー18cmF2.8”の実力はよく知ることができました。
●オリンピアゾナー18cmF2.8について

オリンピアゾナーとは俗称であって、正しくは単なるゾナー18cmF2.8なのです。1936年のベルリン・オリンピックはナチス・ドイツの威信をかけたものであり、ボディであるコンタックスとともにツァイスの光学機械技術の粋を尽くした、当時のレンズとしては破格の大口径レンズだったのです。
森さんの報告によると、最初に生産されたモデルは、コンタックスの連動距離計に直接連動し、後のモデルではFLEKT SKOP(フレクトスコープ)という一眼レフ装置(ライカのビゾフレックスに相当)を介して使用するタイプなのです。
今回試用したのは、このフレクトスコープ付きのモデルを使用しました。このフレクトスコープは1938年にだされた倒立逆像型と、その後に正立に改良されたモデルがあるようですが、使用したのは倒立逆像タイプの方です。使用にあたっては、“コンタックス⇒ライカM⇒ソニーFE”マウントアダプターを介してフルサイズのソニーα7RIIに装着しました≪写真1≫。
なお、この戦前型ゾナー180mmF2.8に対して、戦後型では東独のカールツァイス・イエナのゾナー180mmF2.8、コンタックス/ヤシカマウントのゾナー180mmF2.8などが知られており、かなり長期にわたり製造され続けられた名レンズということができます。
●オリンピアゾナーを使ってみたら
まずは使ってみようと組み上げたのが≪写真2≫の状態です。最初、撮るのに躊躇したと書きましたが、わが家の体重計で測ると2.2Kgを超えるのです。レンズ構成は3群5枚ですが、その断面図≪写真3≫から見るとガラスの塊ですが、金物として鏡胴とフレクトスコープの重さが加わり、超重量級となるのです。このレンズの発売された当時のボディはコンタックスII≪写真4≫で、ソニーα7RIIでの使用状態よりさらに重く、2.3Kgを超えたであろうと考えられます。今回の撮影は、あえてすべて手持ちで行いました。




≪作例1・夏みかん≫ 絞り優先AE、絞りF5.6・1/2000秒、ISO100
冬の寒い中、久しぶりの青空、何か撮るものはないかと近所の公園を目指して歩いていく途中に見つけた、たわわに実った“夏みかん”です。実は、この手の写真はいつも狙うのですが、ハイライトが飛んだり、色が白みを帯びたりと、なかなか思ったようには写らないので、歩きながら最初はスルーしたのです。ところが途中で熟して腐った柿の実をアップで撮影したら、妙にリアルにヌケよく再現されたので、もとの道を戻り、いつもの夏みかんを改めて狙ってみたのがこのカットなのです。ボディはソニーα7RII。青く抜けた空、リアルな色再現の夏みかん、よほどレンズとボディの相性がいいのでしょうか。モニター上で拡大して見ていくと、25%ぐらいで、フォーカスを少し外した左側の夏みかんの実の輪郭に色収差の発生が目につきますが、低感度黒白フィルム時代の1936年に製造されたことを考えると立派なものです。

≪作例2・後ろ姿≫ 絞り優先AE、絞り開放F2.8・1/100秒、ISO100
近距離での描写特性に気をよくして、後日天気がよいので、浅草のハヤタ・カメララボに用事があったのを幸いに、オリンピアゾナーを持参で出かけました。最近、浅草寺の周りには着物姿の中国人観光客が多いので、被写体には事欠きません。浅草に到着時は青空でしたが、ハヤタ・カメララボで少し話し込んでしまい、いざ撮影というときには青空は消え曇天となりました。焦って撮影したカットですが、時間があればお願いして正面からということにもなりますが、2人の女性が前後してお互いをスマホで撮り合っているので、平面でない奥のボケ具合も見ることができると考え、あえてこの後ろ姿で撮らせてもらいました。
絞り開放のために、シャープさは現代のレンズに比べるといまひとつという感じもありますが、逆に柔らかさがいい感じで、絞り開放であることを考慮して、髪の毛の描写具合などからしても必要十分な解像性能だと考えます。モニター画面を拡大していくと33%ぐらいで手前の女性の白い襟の縁や、背景の黄色の着物を着た女性の輪郭に色収差の発生が認められますが、これも絞り込めば減少するはずで、さらには拡大率をどのくらいにするかということで、大きくすると見えてくるわけですから、実用的には特に気にすることはないと思います。ノンコーティングで3群5枚と構成枚数が多いのですが、発色も素直で、むしろ黒白フィルム時代のレンズであることを考慮すれば、やはり当時としては高性能なレンズであったのだろうと考えます。
ちなみにα7RIIには、手ブレ補正機構が入っているので、オートのまま撮影しましたが、マニュアル設定の焦点距離としてはデフォルトの8mmになっていても、撮影結果からすると十分に機能していたのであろうと思うのです。それでないと、焦点距離180mm、手持ち1/100秒ではつらいというか、手ブレ補正機能がなければたぶんブレカットで没になっていたと思うのです。

≪作例3・浅草寺大提灯≫ 絞り優先AE、絞り開放F2.8・1/80秒、ISO100
やはり絞り開放F2.8で、大提灯の手前の文字の所にピントを合わせていますが、このカットも手持ちで1/80秒であり、やはりここでもα7RIIの手ブレ補正機構がかなりしっかりと働いているのがよくわかります。また、背景のボケは望遠ということもありますが、癖のない描写です。このボケ具合は、作例1にも共通したことであり、180mmという焦点距離とF2.8という大口径、さらには撮影距離との関係からからくるわけですが、素直なボケだといえます。
2. 操作方法・メンテナンス・修理のポイント

≪作例4・中国寺院様式建築物神怡舘の屋根瓦≫ 絞り優先AE、絞りF8・1/5000秒、ISO800
所変わり、秩父小鹿野町両神にある埼玉県山西省友好記念館「神怡舘」の屋根瓦を、中距離での被写体ということでねらってみました。F8まで絞り込み、青空ではありますが、質感の描写も良く、画素等倍まで拡大して見ても、屋根瓦のエッジには色収差によるフリンジはあまり出現していません。このことから色収差は軸上のものだと判断できます。もともと180mmという望遠ですから軸上の色収差と考えられたのですが、絞りF2.8開放という大口径では、倍率の色収差的な現象も見られましたので、このあたりの判断は難しいのです。一般的には、画像の乱れをこれは何の影響だとか決めつけてかかる人が多いのですが、収差というか像の乱れはそう簡単に原因を突き止められないのではと、僕はいつも考えています。特にデジタル時代になると、カメラ側が多くの問題を背負ってくれるので、なおさらです。今回も手ブレ補正機構が当然のように働いているわけですから、ゆめゆめ自分のカメラの構え方が良いなどとは考えてはいけません。

≪作例5・無限遠の雑木≫ 絞り優先AE、絞りF8・1/1600秒、ISO800
ほぼ無限遠に位置した雑木をねらってみました。このようなシーンは、解像と色収差の発生具合を見るのにいつも使う場面です。特に冬の落葉した枝は、ちょっとした高解像チャートのようなもので、しっかりとピントを合わせれば、必ずしも無限遠である必要はないのですが、中心から周辺へかけてかなりシビアに画質を見ることができます。このカットもそうでして、両神の宿舎の窓を開けての1枚です。一見するともやっとした感じですが、画素等倍まで拡大して見ても細かい枝が解像しているので、オリンピアゾナーが解像性は高いことがうかがい知れます。

≪作例6・狭山湖からの富士≫ 絞り優先AE、絞りF11・1/3200秒、ISO800
埼玉県の狭山湖畔展望台から富士山まで地図で測ると直線で約77kmあるのです。この距離は焦点距離180mmのレンズであっても十分に無限遠なのです。とはいっても、AFボディで、この手の組み合わせレンズではヘリコイドを回転させ無限遠ストップ位置に突き当てて撮影ということは、当然のこととしてできません。そこはミラーレス機のいいところで、ピントを合わせたい部分を拡大表示させて焦点を合わせれば良いのです。幸い、この組み合わせでは、∞の富士山を行き過ぎた所へもヘリコイドが回転できたので、かなり正確なピント合わせが行えました。
ところで、この画像を拡大して見ると、富士山中腹に九十九折りの模様が見えます。横浜から、連日富士山を撮っている神原武昌さんによると登山道だそうで、その左側には送電線の鉄塔も見えています。鉄塔の立っている位置は丹沢山でしょうか? 撮影は午前11時ごろでしたが、全体にカスミがかかったようになりましたが、もっと早朝なら清明感があったと思うのです。いずれにしてもカメラとレンズで解像能力は決まりますが、レンズとしては必要十分な解像力です。
●使ってみて
1936年というと、戦前であり昭和11年のことでした。この年に「オリンピアゾナー18cmF2.8」と「コンタックスII型」が、さらにカラーリバーサルフィルムの「アグファカラーノイ」が発売された年で、ライバルのライカはIII型の時代でした。そしてアメリカではスチル用のコダクロームが発売された年でもありました。当時、これらカラーフィルムの感度は、デーライトで、アグファカラーノイが4、コダクロームが10であり、オリンピアゾナー18cmF2.8のF2.8という大口径は十分に価値があったのです。昨今のデジタル時代には感度6400ぐらいは普通に使えるわけですから、今回の撮影はすべて手持ちで行えました。ベルリン・オリンピックの写真を見ると、カメラマンは手持ちでゾナー18cmF2.8を操っていたようですが、かなりの熟練と体力を必要としたことでしょう。製造開始から82年の歳月の間に、写真技術は大きく進歩したのです。
(2018.2.25、平昌オリンピック閉幕の日)
