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ライカに始まりライカに終わる · 連載コラム(市川泰憲)

第三十三回「ライカとノンライツのはざまで」

コーナー名
ライカに始まりライカに終わる
著者
市川泰憲(写真技術研究家、日本カメラ博物館)
対象機材・テーマ
ライカとノンライツのはざまで
概要・導入
僕が親しくしている写真グループに、”ノンライツRF友の会”というのがあります。その名称の由来は、ライカ以外のRF(正しくはレンジファインダーですが、グループ名ではアール・エフと読みます)カメラとレンズを使おうという写真愛好家集団です。そもそもは、10年ほど前にクラシックライカが全盛のころに、レンジファインダーカメラはライカだけではないだろうということで、ネット上で知り合った人たちが会を作り、その後アクティブメンバーが、勉強会、撮影会、写真展などを開催してきたのです。 もちろんノンライツだからということでもライカは使わないということではなく、フィルムカメラのフォクトレンダー・ベッサR【写真1】、…

1. 歴史・機構・蘊蓄(エッセイ・解説)

【写真1】フォクトレンダー・ベッサR(2000年)。(写真をクリックすると大きく見られます)

僕が親しくしている写真グループに、”ノンライツRF友の会”というのがあります。その名称の由来は、ライカ以外のRF(正しくはレンジファインダーですが、グループ名ではアール・エフと読みます)カメラとレンズを使おうという写真愛好家集団です。そもそもは、10年ほど前にクラシックライカが全盛のころに、レンジファインダーカメラはライカだけではないだろうということで、ネット上で知り合った人たちが会を作り、その後アクティブメンバーが、勉強会、撮影会、写真展などを開催してきたのです。
もちろんノンライツだからということでもライカは使わないということではなく、フィルムカメラのフォクトレンダー・ベッサR【写真1】、ツァイス イコン、キヤノンやニコンのRF機に加えライカも当然のこととして、さらにはデジタル一眼レフをも使うというぐあいに指向的には柔軟さをもった集団なのです。
そこにひとつの異変が起きました。2004年にエプソンがデジタルのレンジファインダー機“エプソンR-D1” 【写真2】を発売し、ご本家のライカも2006年には“ライカM8” 【写真3】を発売したのです。ところが、エプソンは×1.5倍のAPS-C判、ライカは×1.33倍のAPS-H判だったのです。つまり、ライカ起源のフルサイズである24×36mm、すなわちライカ判より画面サイズが小さかったのです。

【写真2】エプソンRD-1(2004年)。(写真をクリックすると大きく見られます)
【写真3】ライカM8(2006年)。(写真をクリックすると大きく見られます)
【写真4】ルミックスG1(2008年)。(写真をクリックすると大きく見られます)
【写真5】ライカM9(2010年)。(写真をクリックすると大きく見られます)
【写真6】ライカM (Typ240、2013年)(写真をクリックすると大きく見られます)
■ミラーレス一眼の登場で古いレンズが甦る

2008年になると、パナソニックからマイクロフォーサーズ規格のルミックスG1【写真4】が発売されました。このカメラの注目点は、マウント基準面と撮像素子までの寸法が短いことを利用して、アダプターを介してライカや一眼レフのレンズを取り付けることができ、距離計に連動していなくても、ライブビュー機能で見たままの画面で拡大してマニュアルでのピント合わせができるのです。しかも、パナソニックはライカカメラ社と協業関係にあることから、当初からライカM、ライカRマウントの純正マウントアダプターを発売したのです。これで、同じマイクロフォーサーズ規格のオリンパスも加わったことにより、過去に眠っていたクラシックのライカマウントレンズを使うユーザーが一気に増えたのです。
ところがマイクロフォーサーズ規格のカメラは画面サイズが13×17.3mmなので、フルサイズレンズの焦点距離に対し2倍相当の画角となってしまうのです。つまりライカでは最もスタンダードな画角とされてきた焦点距離35mmのレンズが70mm相当のレンズと同じになってしまうのです。それに対して大きな面積であるAPS-C判のミラーレス機は、2010年にサムスンが「NX100」、ソニーが「NEX-5」を発表して以来、2012年には富士フイルムが「X-Pro1」、ペンタックスは「K-01」、キヤノンも「EOS M」を発売しました。ところが、いずれもライカ判フルサイズに比べると1.5~1.6倍という倍率を必要とするために、ライカではスタンダードな焦点距離35mmレンズが52.5mmか56mm相当画角となるのです。
ノンライツRFのメンバーは、もともと世界中に数多く発売されてきた、多種のライカマウントレンズの描写を楽しむ人たちであり、ときにはシネ用のレンズを距離計連動のライカマウントレンズに加工して楽しむようなこともやってのけてきたスペシャル技能集団なのです。そのようなメンバーにとってライカ判フルサイズのレンズ特性(イメージサークル)をフルに生かすことができないのは不満が残るわけです。 本家ライカではライカ判フルサイズの“ライカM9” 【写真5】を発売したのが2010年、しかしライブビュー撮影はできませんでした。ライカでフルサイズのライブビュー撮影ができるようになったモデルは2013年3月発売の“ライカM(Typ240)” 【写真6】を待たねばなりませんでした。ただライカのネックは高価なことで、誰もが手をだせる代物ではなかったのです。

【写真7】発売1週間後の鎌倉撮影会で集ったソニーα7R、左から、ウォーレンサック・ラプター51mmF1.5、ニッコールP.C 8.5cm F2(俗称ダンカンニッコール)、専用のゾナーT* FE35mmF2.8ZAが装着されている。(写真をクリックすると大きく見られます)
■ライカ判フルサイズミラーレス機ソニーα7R

ところが2013年11月15日、ソニーはNEXシリーズを発展させてフルサイズモデルのミラーレス機α7とα7Rを発売したのです。このうちα7は2400万画素、α7Rは3600万画素の高画素タイプだったのです。
その時点でレンズ交換式のフルサイズ高画素タイプとしては一眼レフのニコンD800とD800Eしかなかったのですが、ミラーレス機であるα7Rは小型・軽量で、マウントアダプターを使えばライカのみならず一眼レフを含む各種交換レンズがフルサイズで使え、しかも高画素一眼レフにつきもののミラーショックがないことなどがあり、このようなスペックをノンライツRFメンバーが見逃すことはありませんでした。
2013年の11月24日、紅葉の下でモデル撮影会をノンライツRF友の会として鎌倉で開催しました。その時カメラを持参した友の会メンバー5人のうち3人が、発売後わずか1週間ほどしかたっていないソニーα7Rを持参【写真7】したのですから、ちょっとしたものでした。
それからは撮影機材の主軸をα7Rに移したメンバーもあり、あるとき大型プリントの勉強会をメンバーの所有する大型B0プリンターで行った時に、3600万画素という高画質機の実力をまざまざと見せられた反面、大きく引伸ばすプリントに要求される、ピント・ブレに対するシビアさを知らされたのです【写真8・9・10】。

【写真8】ノンライツRF友の会大型プリントお勉強会:1。(写真をクリックすると大きく見られます)
【写真9】ノンライツRF友の会大型プリントお勉強会:2。これがB0プリント1×15mの大きさ。(写真をクリックすると大きく見られます)
【写真10】ノンライツRF友の会大型プリントお勉強会:3。(写真をクリックすると大きく見られます)

以後メンバーは、大伸ばしに耐えられるような撮影データの作成を行うようになりましたが、せっかくだからということで、皆の作品を持ち寄って写真展を開こうとなったのです。そこで銀座ソニービルに2014年7月にできた“ソニーイメージングギャラリー”で2015年6月20日から7月2日までの2週間にわたり、東京写真月間の期間中にやらせてもらえることになりました。
また、さらに写真展そのものに話題性を持たせようということで、ノンライツに対し、おそらく世界中の現役写真家として最も積極的にレンジファインダーのライカを使っているであろう“ハービー・山口さん”に仲間に加わっていただこうと考えたのです。ハービーさんと僕は古くからのお付き合いがありましたので、ざっくばらんに趣旨をお話したところ快諾を得ることができました。しかも仲間に加わっていただくうえに、展示にはソニーα7を使ったイギリスでの作品を貸してくださるというというのです。ノンライツのメンバーはそれぞれ社会的にも地位を得て、写真界でもそれなりの評価を得ている人たちですが、未知の写真グループとご一緒してくれるというのは、ハービーさんならではの心意気であり、大変うれしくありがたいことです。
これでノンライツRF友の会メンバーで写真展参加を当初から希望していた4人に加え、新たにソニーα7を使っているメンバーの参加を得て、メンバー5人、これにハービー・山口さん、さらに僕も特別ゲストとして加わり、合計7人のグループ展となりました。

2. 操作方法・メンテナンス・修理のポイント

【写真11】会場半分を俯瞰しました。イスに座って4Kモニターでハイビジョン映像を見ることができます。(写真をクリックすると大きく見られます)
■「ノンライツRF友の会とハービー・山口」写真展

写真展開催にあたりサブタイトルは“それぞれのα7”としました。メンバーは、永島明、谷雄治、宝槻稔、山田淳、渡辺和哉の5人に加え、スペシャルゲストとして、写真家 ハービー・山口さんと私の合計7人です。写真展は一般的にいうグループ展となりますが、統一テーマを設けてというようなことではありません。そもそも各人が、ふだんから自分なりの撮影テーマを持っている大ベテランなのです。【写真11】には、展示会場の雰囲気を示しました。
それでは、それぞれの作品をご覧に入れましょう。

●永島 明 (Akira NAGASHIMA)

『飛翔』【作品1、写真12右】
東京で生まれ育った私にとって湘南、三浦は一種憧れの場所でした。それが横浜に住むようになってすでに30数年、今や撮影場所として重要なテリトリーとなりました。ふだん何気なく見えている風景が視点を変えると全く異なった風景となって現れます。それは時間であったり、天候であったり、またレンズであったり、アングルであったりします。その変化を期待して凝りもせず通い続けています。自然はいつも、殆どどんな場合にもそれなりの姿を見せてくれるのですが、時にはこの写真のように素晴らしい偶然に遭遇させてくれることがあるのです。
※1946年、東京新宿生まれ。1966年、東京写真専門学院卒業。神奈川県在住。

【作品1】『飛翔』永島明(Akira NAGASHIMA)、Camera:α7R、Lens:Vario-Tessar T*FE16-35mmF4 ZA OSS
【写真12】ゲスト作家ハービー・山口さんの作品(左)と永島明さんの作品(右)。(写真をクリックすると大きく見られます)
●谷 雄治 (Yuji TANI)

『江の島ヨットハーバー』 【作品2、写真13】
1964年、東京オリンピックヨット競技のため作られ、日本のヨット競技の歴史を刻んできた江の島ヨットハーバー。週末の度にカメラを持って足繁く通ううちにハーバー内に顔見知りも自然とできてきた。海を見て船を見て風を見て1日を向きあう良い時間がここには流れている。今週末も風や友に会いにヨットハーバー通いが続く。この付き合いが人生の主軸になりつつある。良いカメラは人生をより豊かに楽しく過ごすためのエッセンスだろう。
※1956年、東京深川生まれ。高校時代写真映画部にて写真を始める。東京都在住。

【作品2】『江の島ヨットハーバー』谷 雄治(Yuji TANI)、Camera:α7R、Lens:SonnarT* FE35mmF2,8 ZA
【写真13】谷雄治さんの作品。全体は5枚の組み写真で構成されています。(写真をクリックすると大きく見られます)
●宝槻 稔 (Minoru HOHTSUKI)

『夜の煌き』【作品3、写真14】
街は夜の帳とともに昼とは違った顔を見せてくる。それはときには怪しく、ときには寂しく人を魅了する。良く見えない物に、じっと眼を凝らすとき、ふっと見えなかった物が見えてくる。見ていたと思ったものが違った容貌を表してくる。夜の煌きと共に。そんなとき、私は思わずシャッターを切ってしまう。きっと夜の煌きが私にそうさせてしまうに違いない。
※1953年、東京新宿生まれ。1977年電気通信大学電子工学科卒業。通信会社勤務を経て写真活動を開始。東京都在住。

【作品3】『夜の煌き』宝槻稔(Minoru HOHTSUKI)、Camera:α7R、Lens:Vario-TessarT*FE 24-70mm F4 ZA OSS、CarlZeissBiogonT* 2/35 ZM、Kern Aarau SWITAR 1:1,8/50AR
【写真14】宝槻稔さんの作品。全体は4枚の組み写真で構成されています。(写真をクリックすると大きく見られます)
●山田 淳 (Jun YAMADA)

『Girls x Graffiti』【作品4、写真15左】
グラフィティ、ウォールアート、タギング。いろいろな呼び名が未だ定着しない、いわゆる「壁の落書き」は忌み嫌われるものから、ときには数千万の値がつくものまでさまざまである。ところが日本では一様に未だ「壁の落書き」である。アートに対する理解よりも道徳を重んじる日本らしい状況だなぁ、と苦笑するばかりである。今のところ日本ではこのような廃墟に入り込んで、描き上げるしかない。しかしそれゆえの異彩を放っているともいえる。その、素晴らしい日本のWriterの作品を背景に使わせていただいた。
余談、グラフィティには「上書きは今ある絵より優れたものを」という不文律がある。そうやって成長していくアートである。
※1970年、東京世田谷生まれ。インテリアデザイナーを経て写真活動を開始。東京都在住。

【作品4】『Girls x Graffiti』山田淳(Jun YAMADA)、Camera:α7R、 Lens:CarlZeissDistagonT* 2,8/21ZE、VoightlanderNOKTON35mmF1.2 Aspherical
【写真15】(左)山田淳さんの作品。全体は6枚の作品で構成されています。(右)渡辺和哉さんの作品。プリントはこれ1枚、4Kモニター用にほかに2点あり、すべての作品で合計3枚です。(写真をクリックすると大きく見られます)
【作品5】『雪の中でのまちあわせ』渡辺和哉 (Kazuya WATANABE)、Camera:α7R、 Lens:CarlZeissJenaR-Biotar 1:0,85 f=5,5cm T
●渡辺 和哉 (Kazuya WATANABE)

『雪の中でのまちあわせ』【作品5、写真15右】
毎年1月1日の元日に岩手県滝沢市の蒼前神社で行われる「チャグチャグ馬コ初詣」を見に行ったときに、深々と雪の降るなか、傘をさして出番を待つ少女に出会いました。写真を撮ろうとしたら、ちょうど雪がやみ、風が吹いて少女の周りだけ雪が舞っていました。
レンズは、1932年にカール・ツァイス社のW.メルテが設計したレントゲン間接撮影用で、F0.85という驚異的な明るさです。ただし一般撮影用には収差が多く、このような写りとなります。レンズ自体は、ライカスクリューマウントですが、距離計が連動しないために目測での撮影となり、いつも苦労して撮影していましたが、レンズを通した画像で直にピントを合わせできるソニーの「α7」が出現して、このレンズの性能を初めて発揮できるようになり、うれしく思っています。
※1963年、山形新庄市生まれ。大学時代を過ごした石川県金沢で写真活動を開始。山形県在住。

【作品6】『ブライトンの海 2013』ハービー・山口(Herbie YAMAGUCHI)、Camera:α7、Lens:FE28-70mmF3.5-5.6 OSS
●ハービー・山口 (Herbie YAMAGUCHI)

『ブライトンの海 2013』【作品6、写真12右】
23歳のとき、初めてイギリスに行き、住み始めたのがここブライトンの町です。部屋から数分で海岸に行けました。写真家になる夢を抱きつつ、海を眺めていました。40年後の2013年、この海に写真家として訪れたのは幸せなことでした。
※1973年大学卒業後に渡英。ロンドンのミュージシャンを撮影し高い評価を受け、10年間のロンドンでの生活で写真家としての礎を築き帰国。日本写真協会 2011年 作家賞受賞。

●市川 泰憲 (Yasunori ICHIKAWA)

『Symbiosis』【作品7、写真16】
僕の写真はファインダーをのぞき、構図をツメていくとかなりの割合でシンメトリーな写真になることが多いのです。どうしてだろうといつも考えるのですが、どうやら写真を撮る割合のかなりの部分がレンズとカメラの画質をベストに引きだそうと思っていて、自然と構図的にそのあたりに収束していくのです。Symbiosisとは“共生”を意味します。写真は宮崎県の青島に行ったときに見つけた1本のソテツです。このソテツに、ツワブキ、シダ、ヤドリギなどが共に育っていたのです。植物学的には寄生というのかも知れませんが、ツワブキの花がきれいに咲いていたことで、むしろ共生ではないかと思ったのです。
※1947年東京生まれ。1970年、東海大学光学工学科卒業。小学・中学・高校・大学と写真部に所属。ノンライツRF友の会顧問。

【作品7】『Symbiosis』市川泰憲(Yasunori ICHIKAWA)、Camera:α7R、Lens:SonnarT*FE35mmF2,8 ZA
【写真16】市川泰憲の作品(左)とノンライツRF友の会あいさつ文(右)。今回のあいさつ文、作品解説など、すべてが日本語のほか英語でも併記されました。(写真をクリックすると大きく見られます)
■多くの方々に見ていただいて

今回の展示では、ソニーイメージングギャラリーとしてさまざまな初の試みがなされました。1)ソニーα7を使う“ノンライツRF友の会”任意メンバーのグループ展として構成、2)ソニーギャラリーでグループ展開催は初、3)B0(1×1.5m)という大伸ばしプリントを基本として、全プリントをノンライツRFのメンバー自身で行った、4)写真展に話題性をもたせるために、いま一番人気の高い写真家ハービー・山口さんにゲストとして加わってもらった、5)会期中2回トークショーを開催し、うち1回はハービー・山口さんにメンバーの作品を講評していただく中で、ハービーさんの写真への考え方を披露していただいた、6)会期中「ソニーワールドフォトグラフィーアワード2015」日本人の入選作品の表彰式が写真展会場で行われ、選者ハービー・山口さんから入選した最優秀賞の八木進 さん、第2位の高上顕さん、第3位の小池美波さんの3人に記念楯が贈られた【写真17・18】、などです。

【写真17】ソニーワールドフォトグラフィーアワード2015の入選作品の表彰式であいさつするソニー株式会社デジタルイメージング事業本部マーケティング部門長の野上善之さん。(写真をクリックすると大きく見られます)
【写真18】授賞式後の記念写真。左から、第2位の高上顕さん、最優秀賞の八木進さん、第3位の小池美波さん、ハービー・山口さん。(写真をクリックすると大きく見られます)
【写真19】柳沢保正さんは、今回の展示のためにソニーα7と各種オールドレンズを組合わせて街中でスナップした作品をフォトブックに仕上げて会場に配置しました。(写真をクリックすると大きく見られます)

いずれもソニーギャラリー初の試みであると同時に、都内の写真ギャラリーでもあまり類のない写真展であったことは間違いありません。初日から来場者は多く、特に、19日はノンライツRF友の会写真展に共感した柳沢保正さん(“すべてのレンズはライカに通ず”の著者)に引率され、ライカレンズをつけてソニーα7を肩から下げお年寄りのご一行が会場を席巻するなど、一時会場は混乱しました。柳沢さんはここ数か月間、ソニーα7にアダプターを介しさまざまなクラシックレンズを取り付けて、都内をスナップして歩き、その成果を毎日フェイスブックにアップするというような熱心なα7(クラシックレンズ)ファンです。しかも、当日はその日のために『α7でレンズが化けた、クラシックレンズがピッカピカ』というフォトブック【写真19】を作ってきて、来場者に閲覧して欲しいというほどの入れ込みようでした。
また20日(土曜日)のトークショーの日は、ライカ銀座東京で「ライカQ」の発表会が開かれ、ハービー・山口さんは、ソニーギャラリーでのワールドフォトグラフィーアワード贈呈式にでた後、ライカ銀座東京でライカQのトークショー、それを終えてソニーギャラリーでのノンライツRF友の会のトークショーに参加という離れ業をやるほどの忙しさでした。結果として、20日のトークショーにはライカの発表会から流れてきた人も多く、この日はライカを肩から下げた人たちがソニーギャラリーで目についたのです。

■盛況だったトークショー
【写真20】トークショーの開始にあたって、ソニーのギャラリー担当の永井敏夫さんがあいさつ。(写真をクリックすると大きく見られます)
【写真21】ロンドン時代の話をするハービー・山口さん。(写真をクリックすると大きく見られます)

20日のトークショーは、ソニーのギャラリー担当永井さんのあいさつ【写真20】に始まり、僕の司会で3時半に開始しました。まずはハービー・山口さんを紹介【写真21】して、ハービーさんが大学を出てイギリスに旅立った時の気持ちは失意の中だったのか、それとも希望に満ちたものだったかなどを話していただき、写真家としてのスタートに大きな影響を与えたイギリスでの困窮した生活、役者生活、さらに地下鉄の車内でミュージシャンのパンクロッカーであるジョー・ストラマーに出会って、あれこれ思い悩み写真を撮らせて欲しいと申し込んだら、機嫌よく了解をもらい。別れ際に「思ったことをやるのがパンクだぜ」といわれ、自分の髪は茶色でなくて、目は青くなくても思ったことをやればいいのだということを教えられた言葉をもらい、これから写真でやっていこうという勇気がでたというのです。そしてここにいる「ノンライツRF友の会」メンバーは、写真という点では思ったことを好きなようにやっている人たちで、その成果が今日の写真展ですということで、メンバー自身が自己紹介したのちに、どのような思いをもって今回の作品を撮影したかなどと各人に話してもらい【写真22~27】、それぞれメンバーの作品にハービーさんからの質疑応答の形でトークが進み、複数の作品を出しているメンバーには、さらに別な形での作品への展開を提案してもらうなど、実りあるトークショーで、予定の終了時間の4時半があっという間に来てしまいました【写真28~29】。
幸い、その日ハービーさんは、あとはフリーであるということで、トークショー終了後にも1時間近くも会場に残ってくれ、多くの人たちと写真論議や記念撮影に応じてくれるなど、サービス精神旺盛で、この日もハービーファンが増えたのでした。また、それぞれの作品の前では、かなりマニアックな人たちが作者にさまざまな質問を投げかけるという話し合いが延々と続きました。そのなかでも山田さんの作品に対しては、どのようにしてこのような画質、肌色を出したのか、果てはどのようにしてこれだけ若いモデルさんたちに撮影をお願いすることができたのかなどと質問が百出し、さらにはいままではフィルムがいいと思って写真撮影してきたが、これならこれからはデジタルでいけるということをいいだすグループまでいたそうで、有意義なトークセッションとなりました。
僕自身の写真は、『Symbiosis』(共生)というタイトルで、画面中央の1本のソテツに、ツワブキ、シダ、ヤドリギが育っているのですが、1×1.5mと大きく伸ばしたプリントでも、ツワブキの持つみずみずしい質感描出がポイントなのですが、特にストーリ性があるわけでもないのです。しかし会期中を通して観客の皆さんの視線を追いかけていると、意外とこの写真に注視度【写真30】が高いのではないかと感じました。このあたりは「3600万画素デジタルのミラーレス機での描写特性に驚きが隠せない」というのは、あるプロ写真家のお話でしたが、ソニーα7Rを代表としたデジタルカメラの可能性、さらには展示作品すべてが自家プリントであることを示せたという点においても高品位な大型プリント展示の意義が十分にあったと考えます。
トークショーは、28日(日曜日)にも『作者と語る会』として僕の司会で4時半から1時間開かれました。ハービー・山口さんは地方での所要のため来られませんでしたが、やはりこの日も多くの方々に参集いただき、作者への質疑応答も活発に行われ、山田さんの撮影したモデルさん達もきてくれて、コメントするなど、楽しくなごやかな時間を過ごすことができました【写真31~34】。なおトークショーには、ソニーギャラリーの展示には参加しなかった、ノンライツRF友の会メンバーの原昌宏会長、神原武昌さん、三橋郁夫さん、佐藤かな子さんも出席されました。特に神原さんには、2日間にわたったトークショーの記録写真撮影をお願いしました。感謝です。
ところでこのソニーイメージングギャラリーでの展示は、プリントに加えブラビアの4Kモニターによるスライドショーも順次流しました【写真35】。内容は、プリントにはできなかったものも含めそれぞれのテーマに沿って複数枚で構成しましたが、ゆっくりとイスに座って見ている人もいました。さらに、開催のあいさつ、タイトル、作品解説、撮影データ、作家紹介などすべてが日本語に加え英語が併記されたのです【写真16】。これは写真展が始まりすぐにわかりましたが、お客さんに欧米系の海外からのツーリスト【写真36】がたくさんくるのです。メンバーと、ときには英語で挨拶したり、作品解説したりと、銀座の表通りにあるソニーイメージングギャラリーならではのものと思った次第です。

【写真22】作品『夜の煌めき』の解説をする宝槻稔さんと、話を聞くハービー・山口さん。(写真をクリックすると大きく見られます)
【写真23】作品『飛翔』の解説をする永島明さんと講評するハービー・山口さん。(写真をクリックすると大きく見られます)
【写真24】作品『江の島ヨットハーバー』の解説をする谷雄治さんと講評するハービー・山口さん。(写真をクリックすると大きく見られます)
【写真25】作品『雪の中で待ち合わせ』の解説をする渡辺和哉さんと講評するハービー・山口さん。(写真をクリックすると大きく見られます)
【写真26】作品『Girs x Graffity』に対するハービー・山口さんの講評を真剣に聞く山田淳さん(写真をクリックすると大きく見られます)
【写真27】作品『Symbiosis』の解説をする市川泰憲。ハービー・山口さんの講評は時間切れで残念ながらお伺いできませんでした。(写真をクリックすると大きく見られます)
【写真28】ハービー・山口さんとのお話は、時には笑いを交えて楽しく進行することができました。(写真をクリックすると大きく見られます)
【写真29】熱心にハービー・山口さんのお話を聞くトークショーの参加者。(写真をクリックすると大きく見られます)
【写真30】作品『Symbiosis』を覗きこむようにして鑑賞する人が多かったのは意外でした。(写真をクリックすると大きく見られます)
【写真31】28日のトークショー開催の挨拶をする市川泰憲。(写真をクリックすると大きく見られます)
【写真32】作品『飛翔』の解説をする永島明さん。(写真をクリックすると大きく見られます)
【写真33】山田淳さんの作品に登場してくれたモデルさんも来てくれました。(写真をクリックすると大きく見られます)
【写真34】作品『Symbiosis』の解説をする市川泰憲。(写真をクリックすると大きく見られます)
【写真35】会場内には、4Kテレビのブラビアで、皆の作品を順次スライドショーで見てもらいました。また、ショーケースの中には山田淳さんが使ったレンズとカメラ機材も展示されました。(写真をクリックすると大きく見られます)
【写真36】銀座という場所柄、欧米系のツーリストのお客さんも多いのです。(写真をクリックすると大きく見られます)
■うれしい知らせ

実は展示が始まる前から1つだけ心配がありました。畳1枚ぐらいにプリントした作品の後始末です。当初はそのようなことを考え、出力したままのロールプリントを会場の壁にピン止めすることをソニーギャラリーに提案しましたが、ピン止めは認められないという内規があり、パネル張り、額装、裏打ちして平面を出した状態で壁に取り付けという、いずれかの方法をとらなくてはならないというのです。しかしパネル張りと、額装も写真があまりにも大きいので非現実的であり、結局、ゲータボードかアルポリックボードのどちらかを選ばなくてならないわけです。その時点では硬質発泡樹脂板であるゲータボードが軽量で、展示するにも後始末するにも楽だということであったのですが、アルポリックのほうが平面性は高く、破損しにくいことなどから適切なのではないかと、業者さんからの提案もあり、最終的にアルポリック材で裏打ちして展示することになりました。アルポリックは、アルミ板を芯材にポリエチレンでサンドイッチしたものです。

【写真37】南相馬市原町の子育て応援カフェ「カフェ37」。(写真をクリックすると大きく見られます)
【写真38】ハービー・山口さんの書いてくれたサインとメッセージ『We are as ONE』。(写真をクリックすると大きく見られます)

さて困りました。アルポリックは丈夫だということですが、これで引き取り手のない場合、写真を廃棄処分するにはかなりの困難が伴うことになったのです。とりあえずは、会期は2週間あるので、その間に何かを考えようということで会期後のプリントの始末は保留していたのですが、会期も半ばごろメンバーの宝槻さんが朗報をもってきました。
それによると、福島県南相馬市原町の原ノ町駅近くの子育て応援カフェ「カフェ37」というところで、展示後の作品を引き受けたいという話がきたのです。しかもすでに会期中に関係者の方が作品を見にきて、了解してくれたというのです。これは願ってもないことです。もともとあまりにも大きすぎることから運ぶにも、収納するにも、展示するにも大変なのです。ソニーギャラリーに展示されているときには、会場が吹き抜けでかなりの天井高があるために、さほど大きいとは感じませんが、家庭や一般のお店に飾るにはあまりにも大きすぎたのです【写真37】。
もちろん現地への搬入はわれわれの責任で行うのですが、ハービー・山口さん、宝槻さんの作品の一部、永島さん、渡辺さん、僕の作品を「カフェ37」に寄贈することになりました。ちなみに谷さんの作品は撮影地である江の島ヨットハーバーに、山田さんの作品はモデルの女性たちにプレゼントと、それぞれの作品の嫁入り先が決まったことは素晴らしいことです。決定した時点で、ハービーさんにも了解いただき、記念に作品へサインとメッセージをひとこと添えていただくことをお願いしました。書かれたメッセージは『We are as ONE』、われわれはひとつだという意味でしょうか【写真38】。
ハービー・山口さんは、2011年3.11震災のあった現地には早くから出向き、被災地の若者たちの姿を撮影してきました。そして現地で出会った宮城県白石市の女子高生が、大学に進学して写真の勉強をしたかったけど、震災で進学をあきらめたということを聞き、その話をライカカメラ社のオーナーであるDr.カウフマン氏に話したら、カウフマン氏がその女子高生にライカモノクロームとレンズのセットをプレゼントするという橋渡しをしたのです。素晴らしいことです。これはマスコミにも広く取り上げられましたが、現代の美談以外の何物でもありません。
7月11日、南相馬に向けてメンバーの作品とハービー・山口さん、市川の作品がメンバー宝槻さんの車で運搬されました。東京から南相馬原町まで約300km、ほぼ3.5時間の行程でしたが、無事「カフェ37」へ届けられたのはいうまでもありません【写真39~42】。現地には山形からノンライツメンバーの渡辺さんも駆けつけて簡単ながら引き渡し式を行いました。大役を果たした宝槻さんはご苦労でしたが、時期を改めて、いつかは展示されている作品を見に南相馬に撮影会を兼ねて行こうということになりました。

【写真39】「カフェ37」での開梱作業。(写真をクリックすると大きく見られます)
【写真40】「カフェ37」での開梱作業。(写真をクリックすると大きく見られます)
【写真41】「カフェ37」での開梱作業。(写真をクリックすると大きく見られます)
【写真42】カフェ37にて、寄贈写真の引き渡し後の記念写真。左から今回の話を繋いでくれた皆川知子さん、渡辺さん、宝槻さん、そしてカフェ理事の高橋慶さん。(写真をクリックすると大きく見られます)
■終わりに

ソニーイメージングギャラリーでの「ノンライツRF友の会とハービー・山口」写真展は、各メンバーの持ち得ているそれぞれの得意分野での自発的な作業・行動により、大変スムーズに運営することができ、過去になく実り多い展示会となりました。その過程では、トークショーで多くの来客の方々との話し合い、メンバー全員とソニー技術者との意見交換会も行われ、さらに展示後の作品が被災地である南相馬に寄贈されるなど、きわめて意義あるイベントあったというのも特筆されることです。改めて、このような機会を与えてくれたソニー株式会社と、作品展示、トークショーとご協力いただいたハービー・山口さんに感謝する次第です。 (2015.7)