ライカに始まりライカに終わる · 連載コラム(市川泰憲)
第二十二回「エルノスター10cmF2レンズをライカMで使う」
1. 歴史・機構・蘊蓄(エッセイ・解説)

■エルマノックスとザルモン
“エルノスター10cmF2”は、1924(大正13)年に独エルネマン社より発売された「エルマノックス【ERMANOX、写真1】」に固着されていたレンズです。エルマノックスは、画面サイズ4.5×6cmのアトム判乾板を使い、当時としては大口径レンズであるエルノスター10cmF2を装着して“見えるものなら何でも写せます”とのキャッチフレーズで登場しました。カメラ名のエルマノックスのNOXは夜を意味し、レンズ名のエルノスターはエルネマン社の星を意味するというわけです。レンズの設計者はエルネマン社のL.ベルテレ(Ludwing Bertele)で、F2の後には、F2.7、F1.9、F1.8、F1.5などが設計されています。さらにエルネマン社がツァイスに合併された後には、大口径レンズとして名高いゾナー50mmF1.5までベルテレは発展させています。【写真2】には、ライカM(Typ240)に装着されたライカMマウント改造のエルノスター10cmF2を、【写真3】にはレンズ単体をライカMマウント側から示しました。
当時、エルマノックスは、ドイツ人でフォトジャーナリストと知られるエーリッヒ・ザルモンにより、法廷での裁判の場面やヨーロッパの閣僚たちの室内会議場での活動を撮影したのがよく知られていますが、このことによりエルマノックスは、世界で最初のキャンディッドカメラと称されるようになったのです。


■F2エルノスターレンズの構成

このエルノスターレンズですが、レンズ前面の銘板には「Erneman Anastigmat "ERNOSTAR"1:2. F=10cm」と刻まれています。そのレンズ構成ですが、ここでつまずいてしまいました。まず、ある種の文献を調べてみますと、4群6枚だというのです。ところが別の文献を調べてみますと4群4枚構成だというのです。4群6枚構成とするのは、寫眞光学(1935年、誠文堂新光社)、写真レンズの歴史(ルドルフ・キングズレーク、1989年、朝日ソノラマ・1999年)、光学機器大全(吉田正太郎、2000年、誠文堂新光社)、一方、4群4枚構成とするのは、カメラ及びレンズ(久保島信・林一男、1955年、共立出版)、写真レンズの基礎と発展(1995、小倉敏布、朝日ソノラマ)なのです。どうしたものでしょう。多数決で決めるわけにはいきません。結局、現物が手元にあることから、以下のような理由から4群4枚構成であると結論づけました。1)4群6枚構成とする断面図は、いずれも最前玉より最後玉の口径が大きいのですが、現物は最前玉のほうが大きいのが一目瞭然、2)現物のレンズに光を入れて反射面を数えてみると8面を数えることができるので4群4枚構成、ということです。なぜ多くの文献で4群6枚構成になったかは、ここでは追いかけませんが、エルノスターがトリプレットの発展形であることなどを考えると、前玉と中玉の間にメニスカスレンズを入れた4群4枚【図1】構成であるとみるのが妥当なわけです。ちなみに最前玉の口径は実寸で約50mmφ、最後玉は約28mmφでした。いずれにしてもこの騒動で積み上げた参考文献は10冊以上、人騒がせなことです。
2. 操作方法・メンテナンス・修理のポイント
■エルノスターで撮影してみる
ということで、まずは室内でぬいぐるみのアクセサリーを使ってテスト撮影してみましたが、かなりシャープなレンズであることがわかりましたので、フィールドへ持ち出して実写してみました。


【作例1】は宮城県南三陸町の志津川湾の日の出です。太陽で赤く染まった海に、カキやホタテのいかだがシャープに写されています。絞りF2開放で撮影。3.11、あのいまわしい津波が押し寄せたとは考えられないほどのおだやかな海です。(2014.4)
【作例2】絞りF2開放で、フラダンスショーのソロダンサーを狙ってみました。福島県いわき市、スパリゾートハワイアンズにて。(2014.5)


【作例3】夕景、室内とうまく撮影できたので、晴天の屋外に持ち出したらご覧のとおり、内面反射、フレア、迷光、ベイリンググレアなどなどのあらゆる言葉が当てはまる写真となりました。撮影は絞りF5.6に設定し、屋根のある日陰から写したので、直接レンズに太陽光が当たるというようなことはなかったのですが、コーティングのない時代のレンズは、やはりこういう場面は不得手なのでしょう。何といってもErmanoxは夜のカメラなわけですから致し方ないですね。長野県姥捨駅から千曲川と長野盆地を望みました。(2014.6)
【作例4】近所の菖蒲園のおだやかな光のさす所で、カモの休息を狙ってみました。撮影は絞りF2開放です。このレンズだけにいえることではありませんが、ノンコーティングのクラシックレンズは撮影してみると、ときどき1枚ベールをかぶったような画像となりますが、レタッチソフトでレベル補正処理【図2】を施せば普通のコントラストの写真にすることができます。これは、フィルムカメラ時代にはできなかったことですが、デジタルならではの処理テクニックといえます。前ボケ、後ボケとも癖はなく、絞りF2開放でありながら、結果としては十分な描写だと思うわけです。(2014.6)



【作例5】日陰に咲くアジサイを狙ってみました。紫色のアジサイの花びらのシャープさは絞り開放のF2ということからかいまひとつですが、全体に柔らかく描写されているともいえます。そして、背景のアウトフォーカスした葉のボケ具合は絶妙で、柔らかくジワーッととろけるような描写は、このエルノスターならではのボケ描写かもしれません。(2014.6)
【作例6】もう1つこのライカMマウント改造のエルノスターレンズはかなり接写が利くのです。ところがオリジナルのエルマノックスに取り付けられた状態では、無限遠から約3フィートまでの撮影範囲なのです。エルマノックスの外観写真を見ていると、ヘリコイドを伸ばした状態で撮影しているのを時々見ますが、実はその位置が無限遠位置なのです。つまりエルマノックスのエルノスターレンズは沈胴レンズなのです。【写真4】は、手元にあるエルノスター10cmF2を最も縮めた状態(沈胴状態)と最も伸ばした状態を比較したものですが、ヘリコイドは何と最大約37mmも伸びるのです。ヘリコイドはInf(∞)から最短撮影距離の3Feetの目盛りを過ぎて約360°回転させたInfの位置(約28mm伸ばした所)で1度クリックがかかり、ここがエルマノックスでの光学的無限遠位置で、さらに回転させると3フィートの目盛りわずか過ぎまで回転できるのです。つまり最短から最長まで、ヘリコイドは540°も回転しているのですが、撮影可能範囲は3フィートから無限遠までだったのです。


ところが今回のライカMマウント改造機では沈胴した状態で無限遠がでるように作ってあるのです。まさにライブビューでのピント合わせが可能だからできるわけですが、最も伸ばした状態では、レンズ面最先端から約38cmまでの接写ができるようになっています。そしてザルモンの傑作は、エルマノックスのピントグラスによるものか、置きピンによるものか、さらには目測によるものかはわかりませんが、ただ単に明るいレンズを使ったということでなく、時代の目撃者、キャンディッドカメラとして、後世に作品を残したところが素晴らしいところです。
【作例6】は、ヘリコイドを最大限540°回転させて、最も近接状態で撮影したものです。絞りF2で撮影してありますが、さすがにゆりの花粉が完全に分離するまでの解像力は持ち合わせていませんが、ボケ味、発色の具合など優雅さを感じさせるものがあります。(2014.7)
【作例7】は、最短撮影距離より少しだけ引き下がって、ユリの花を主体に撮影しました。やはり柔らかさと、ボケ味のつながりのよさが描写の特徴でしょうか。絞りはもちろんF2開放です。(2014.7)
■乾板時代のレンズがいまに生きる
今回は、クラシックカメラファンなら垂涎の的、しかもエルノスターレンズには種類が数々ありますが、10cmF2というのは数少ない個体なのです。僕は、エルノスターレンズは過去に11cmF2.7、12.5cmF1.8の撮影結果を見たことがあのですが、いずれも10cmF2に劣らぬ素晴らしい描写を示していました。エルネマンのエルマノックスが発売されたのは1924(大正13)年、つまり今から90年も前の時代なのです。この時代の乾板は当然黒白であり、感度はASA感度以前の時代であってよくわかりませんが、ザルモンが室内で、手持ちか一脚のような補助具を使って、絞り開放F2・1/30秒とか1/15秒とかが撮影できたとしたら、現代のISO25に相当するような感度の乾板があったのではないかと考えられるわけです。前述の寫眞光学(1935年刊)によれば、ベルテレの解説を“非常高速度寫眞レンズ”と訳しているところがおもしろいです。

ところで今回の原稿をまとめるにあたり、エルマノックス、エルノスターの話をしていたら、エルノスター16.5cmF1.8と大変珍しいレンズの付いたエルマノックス【写真5】をIさんから見せていただきました。このカメラは120ロールフィルムホルダーが使えるようにフィルムバックを改造してあるのですが、期せずしてフィルムで使うエルノスター、デジタルで使うエルノスターとそろったわけです。この個体は、絞り羽根が取り払われているために、かつては絞り開放で大口径を活かし天文観測に使われていたのではないだろうかと考えられるわけですが、本来ならその時代は乾板であったわけですから、乾板→フィルム→デジタルと感光材料3世代の時代を経た名玉がいまに生きているというのも楽しい話です。 (2014.7)
