ライカに始まりライカに終わる · 連載コラム(市川泰憲)
第十六回「コピーライカ」
1. 歴史・機構・蘊蓄(エッセイ・解説)






探し物をして、我が家のカメラ置き場をひっくり返していたら中国製のライカそっくりさん「上海58」がでてきた。大切なカメラも、ちょっとしたことで下のほうに入り込んでしまうと、なかなか表に出る機会はない。せっかくだからと、身近にあるライカのそっくりさんを集合させてみることにした。そこで「上海58」に加え、オリジナルの「ライカIIIa」、日本製の「ニッカ3-F」、「キヤノンP」、ロシア製「ゾルキー」とおまけの「ライカゴールド」を並べて簡単にお見せすることにした。それぞれ僕にとっては思いで深いものがある。
このうち「キヤノンP」を別にして、4台の集合写真をまず最初に見てもらおう。わが家のテーブルトップスタジオのバック紙が狭いので4台しか撮れないのである。それぞれの大きさ比較でもしていただければと思う。まずご覧のようにそっくりさんであることは、一目瞭然だ。上段がライカ IIIa、下段左から、上海58、ニッカ3-F、ゾルキーだ。ところで、この種のカメラをなんと呼ぶのだろうか。イギリスでは“LEICA COPIES”という本(ISBN1 874485 05 04)が発刊されていて、世界8か国で製造されたさまざまな機種が所狭しと掲載されている。したがってここではとりあえずコピーライカと呼ぶことにした。ただしコピー商品というと、なんとなく最近はハンドバックや時計などのように、商品の名称そのものまでコピーされているようだが、今回はおまけの「ライカゴールド」を別にすれば、それとは一線を画するものであることはいうまでもない。
以下、それぞれの機種について概略を紹介しよう。
■ LEICA IIIa
元祖ライカである。レンズは沈胴式のズマール5cmF2がついていて、ボディは1936年に製造されてたものだ。スクリューマウントのいわゆるバルナック型ライカだから、小型・軽量だが、最近はほとんど出番がなくなった。標準レンズのズマールは、ときどきデジタルのM9で使いボケ具合と残存収差というか、レンズのボケ味の変化を楽しんでいる。このIIIaとズマール5cmの組み合わせとヘクトール2.8cmF6.3は義父の形見だ。シャッターは、T.1~1/20秒、B.1/30~1/1000秒。
■ NICCA 3-F
日本のニッカカメラが1957~1958年に製造。フィルム巻き上げはノブ式からレバー式に改良されている。1954年にライカがM3となってバヨネットマウントになり、巻き上げがレバー式となっているので、ニッカ3-FはライカM3に比べると約3年後の登場だから、巻き上げがレバー式となるのも当然だ。とはいっても、軍艦部のカットはライカIIIaにかなり似たラインをしている。レンズは、固定鏡胴のニッコールS・C 5cmF1.4がついているが、かなりの美品。シャッターは、T.1~1/25秒、B.1/50~1/500秒。このカメラは元感材工業会専務理事の栗田泰さんからお預かりしていたもので、養蜂業を営んでいたお父さんが研究記録用にアサヒフレックスとともに使っていたそうで、きれいな革ケース、純正フラッシュガンなどがセットされている。
なおニッカカメラは、1958年にヤシカの完全子会社である大邦光学となり、その後ヤシカ本体に吸収合併された。この間、ほぼ同仕様の“ヤシカYE”というレンジファインダー機を発売している。元ニッカカメラの本社のあった田園調布の沼部には、ヤシカが京セラと合併した後に、一時期光学機器事業本部の事務所があったが、原宿に移転した後、現在は京セラ興産がマンションを建てている。
2. 操作方法・メンテナンス・修理のポイント




■ Canon P
ボディにはキヤノン「P」と刻印されているが、ポピュレール(Populaire)というのが正式のようだ。1959年の発売で、日本のカメラが一眼レフの開発にシフトした年であって、同じ年にキヤノンフレックスとニコンFが発売されている。シャッターは金属膜で、B.1~1/1000秒まで。レンズはCanon Lens 50mmF1.8が付いているが、このレンズは不思議なもので内部に水あめのようなものが析出し、拭いても拭いても曇りが出てくるので半ばあきらめている。知人が若いころに買ったというのを預かっているが、ほとんど新品の革ケース付きだ。この50mmF1.8付きで、当時は47,700円というからかなり高価だったと思うが、名称からしてわかるように普及機だったが、9万台も売れたキヤノンのベストセラー機であった。後の1961年には、50mmF0.95付きのキヤノン7が発売されている。
■ 上海58
中国製のバルナック型ライカだ。上海58には距離計とファインダーが分かれたライカタイプのI型と、一体化されたII型と2種類あり、II型はさらに製造番号により、IIa~IId型まで分類されてるが、本機はd型である。レンズは、沈胴式の上海50mmF3.5がついているが、ボディ、革ケースともかなりの美品である。シャッターは、T.1~1/20秒、B.1/30~1/1000秒。58型の意味は、1958年に製造が開始されたからで、ここにある上海58-IId型が最終モデルで、1962~63年に製造されている。本機はE社のEDさんが中国へ行った時のお土産としていただものだ。




■ ZORKI
ロシア製コピーライカの代表機種で、1949~56年の間に70万台も作られたという名機だ。このカメラの入手にはちょっとした思いでがある。1991年のソ連崩壊直後に、モスクワを訪れていた友人の新聞社カメラマンHさんが、夜中に職場へ電話をかけてきて、路上で金色のライカが安く売られていて、明らかに偽物だけど、どうしようかといってきたのだ。安ければ買ってきてと伝えたら、その「金色ライカ」と元になったカメラだというゾルキーの2台が僕のためにと買ってきてくれた。その受け渡しは、築地にあるマグロの土手鍋屋さんで一杯やりながら行われたが、湯気がもうもうと立ち上がるなか、目にもまぶしいような黄金色のライカを素手で触って、いろいろとカメラやレンズのみやげ話をたくさん聞いて、すっかりご機嫌になり帰宅したが、翌日金色ライカを見てびっくりした。輝くような金色に陰りがでているのだ。さっそく専門家に見てもらうと、金は素手で触ってはいけないことと、下地処理が悪いので、せっかくの純金メッキもいくら大切の扱っても下地から腐食が進んでくるというのだ。当時は金属磨きの“ピカール”を金色ライカとセットして磨き上げていたが、最近はあきらめて放置していたら、何と緑青が噴きだす始末だ。ということで入手から20年近く経ち、今ではオリジナルのゾルキーのほうに愛着がある。レンズはインダスター22で、沈胴式の50mmF3.5が装着され、シャッターは、B.1/20~1/500秒。ところで金色ライカのレンズはエルマー50mmF3.5であり、革ケースにまでLeicaと押されているが、よく見るとその背後にうっすらとZORKIの文字が見える。ソ連崩壊で、旧東欧圏にあったライカ、さらにはロシア製カメラや交換レンズが日の目を浴びたのはこの時期だったが、折からのライカブームと相まって、自国のカメラを再加工してライカに仕立てあげたというのも寂しさを感じさる。たぶん時代がそうさせたのだろう。
