ライカに始まりライカに終わる · 連載コラム(市川泰憲)
第十三回「コーティングありとなしのズマール5cmF2」
1. 歴史・機構・蘊蓄(エッセイ・解説)
手元に2本のライツ・ズマール5cmF2がある【写真1】。1本は自分の、もう1本は友人であるノンライツRFクラブ代表大澤さんの物だ。もともと僕が撮影に古いズマール5cmF2で画作りをと考えていたときに、その場に居合わせた大澤さんも同じズマールを持っていて、ぜひ撮り比べて見てください、とのことなのでお預かりした。まずは手始めにと、その場で2本をほぼ同じ条件で撮影してみると、びっくりした。僕所有のは、みごと画面全体にフレアがかかっている。片や大澤さんのはすっきりと普通のレンズなのだ。さてその違いはとなるわけだが、聞くところによると、大澤さんのは新宿の山崎光学で、再研磨し単層膜のレンズコーティングを施したレストア品だということ。それぞれのレンズナンバーを調べてみると、僕のがNo.299499なので1936年製、大澤さんのはNo.406952なので1937年製ということになった。その違いはわずか1年だが、その間で10万以上もナンバーに開きがあるわけだから、ライツにとっては黄金の時代だったのだろう。ちなみに1936年と1937年の時代というとボディはIIIaの時代であった。

左はライカM9に単層コーティングされたズマール5cmF2、右はオリジナルズマール5cmF2が付いていたライカIIIaである。ボディナンバーは193073、1936年の製造で、いまから75年前に製造されたものである。レンズともども義父から譲り受けたものだが、ボディと75年も一緒にいたのだろう。
一般的に、写真用のレンズにコーティングが施されるようになったのは戦後のことであり、その点において2本のズマール5cmF2はノンコートの時代のレンズであるといえるのだが、改めてこの時期にコーティングをし直したものはこんなにもコーティングの効果が顕著なのかと驚いた。
それでは、もう1本の僕のほうは、最初からこんな状態だったのかというと少し違うようだ。【写真2】にガラス第1面のクローズアップを示したが、必要以上にテカテカ、つまり反射しているのがわかる。これはたぶん経時変化による、ガラス表面の劣化であると思われるのだ。光学的な専門用語ではヤケと呼ばれているようだが、空気中の炭酸ガスや水分などの影響を受けて、ガラス表面が白くなったり、干渉膜が発生したりということになる。ズマール5cmF2の第1面ガラスは、そのような現象を起こしやすく軟らかいというのが通説のようで、そのために大澤さんは山崎さんの手になるチューンナップを施したようだ。

左は単層コーティングされたズマール5cmF2、右はオリジナルズマール5cmF2である。レンズ第1面から奥に行くにしたがってまるで銀鏡のように光って見えるが、これは見る角度によっても大きく異なる。しかしこれを見る限り、コーティングされたズマールのほうが良く写りそうな気がする。
2. 操作方法・メンテナンス・修理のポイント
【作例1】左がオリジナルズマール、右がコーティングズマールである。このときは真剣に撮影していないので、ピントはいまいちだが、ズバリいってオリジナルズマールはフレアで使えないレンズだと思った。露出は、オリジナルがF2・1/90秒、ISO1000、コーティング品はF2・1/60秒、ISO800。両方の画面を見ておわかりのように背後の窓からの直射光にもろに影響を受けたようだ。念のために付け加えると、よけいな光がレンズ表面に入らないようにとM9のズマール5cmF2のように、以後の撮影にはすべてフードを装着して撮影したが、ズバリ正面、逆光状態ではオリジナルズマールは弱いようだ(ここでいうオリジナルは、75年前そのままで手を加えていないことを意味し、ヤケなどの経時変化の要素も含んでいる)。(埼玉県・川越にて)


【作例2】オリジナルズマール。M9、F2・1/2000秒、ISO160。同じ場面で三脚を立てて、画面中央のツバキの花にピントを合わせてある。コーティングズマールと比較すると、中央部背景のアウトフォーカス部に方向性を感じるが、これは個体差レベルだろう。絞り開放、曇天だとこの程度の描写になる。(群馬・渋川にて)

【作例3】コーティングズマール。M9、F2・1/3000秒、ISO160。画面中央のツバキの花にピントを合わせてあるのは同じだが、全体にツバキの花が鮮やかに見え、シャドーとなる緑の葉の部分描出も鮮やかだ。ただ全体的に見る限りではどちらもフレアっぽさがあり、画質という面では大きく変わるほどではない。同じ絞り値、撮影感度でシャッター速度が0.5段速く切れてコーティングによる増透効果を確認できるが、このあたりが再研磨とコーティングの成果だろう。(群馬・渋川にて)

【作例4】コーティングズマール。M9、F2・1/4000秒、ISO160。画面中央のアウトフォーカス部に円を描いたような非点収差を見ることができる。その周辺を拡大するとお茶の葉の形でリング状に2線ボケがでている。全体に色鮮やかで、シャドー部の色濁りもあまり感じさせない。同じ絞り値、撮影感度でシャッター速度が0.5段速く切れているが、発色、色濁りを含めて、再研磨、コーティングの効果だろう。あくまでも比較だが、背後の茶畑が終わるところのボケ具合は直線的できれいだ。(静岡・牧之原にて)

【作例5】オリジナルズマール。M9、F2・1/3000秒、ISO160。画面中央のアウトフォーカス部に円を描いたような非点収差をわずかに見ることができる。その周辺を拡大するとお茶の葉の形でリング状に2線ボケがでるあたりは、コーティングズマールと個体差の範囲で収差の出方などはほとんど変わらない。全体に色濁りを感じさせるが、致し方ない。何しろこのレンズが生まれた時代は、カラーフィルムはなく、基本的には黒白写真の時代だったのだから。(静岡・牧之原にて)

【作例6】コーティングズマール。M9、F4.5・1/2000秒、ISO160。さすがこのような無限遠を絞り開放のF2で撮ることはない。少し絞った状態で撮影した。この時代ライツの絞りはF2-2.2-3.2-4.5-6.3-9-12.5と大陸絞り系列だ。このような青空のある風景を撮影したら、何となくコーティングズマールのほうが空の色が彩度が低く濁ったような感じがした。このレンズにはオーナーの意向により第1面ガラスが傷つきやすいのでUVフィルターを付けているが、そのためか、それともコーティングの影響かも知れない。(静岡・藤枝にて)

【作例7】オリジナルズマール。M9、F4.5・1/1000秒、ISO160。画面全体がフレアっぽく感じるのはレストアされていないためだろう。青空の描写はコーティング品と比較するとノンコーティングレンズのほうが清涼感がある。これは過去にも試したことがあるが、現代の同じレンズでコーティングなしとありでは空を含めて全体に清涼感がでるということは知られている。また、画面全体にピンク色がかかっているのは紫外線が影響しているのではないかと思う。(静岡・藤枝にて)

【作例8】オリジナルズマール。M9、F4.5・1/1000秒、ISO160。池に散ったサクラの花びらと睡蓮の葉とツツジの花1輪といったところだろうか。わずかに絞り込んだ結果であるが、画面中央上部の桜の花びらを拡大して見ていただければ、意外とシャープな感じがでていることは納得いただけるだろう。(静岡・藤枝にて)

【作例9】コーティングズマール。M9、F4.5・1/1500秒、ISO160。決してかりかりと固い感じはないが、必要十分な解像感を持った描写だと思う。絞り開放で撮っていたときにはかなり暴れるレンズだという印象を持っていたが、少し絞ると現代にも通じる手堅い描写の標準レンズとなる。(静岡・相良にて)

【作例10】コーティングズマール。M9、F6.3・1/1000秒、ISO160。少し絞って、無限遠の描写である。シャドーの描出も良く解像度も十分にある。国道を走っていて、陽が落ち、富士が焼けるのではないかと狙っていたときであるが、赤くは焼けなかったが納得いく描写となった。(静岡・富士山麓にて)

【作例11】オリジナルズマール。M9、F2・1/1000秒、ISO160。信じられないような鮮やかな発色の描写である。太陽光があたり、赤く紅葉したモミジの葉陰に入り最短撮影距離で撮影している。ちょうどステンドグラスを光を通して撮影するときれいに写るのと同じような現象だろうか。背後の緑の葉は暗く落ち込んでいるが、かえって幸いしているのかも知れない。最短撮影距離で、絞り開放だからピントは浅いが、とにかくきれいだ。(東京・府中にて)
■基本的な収差の発生具合はどちらも同じ
2本のズマール5cmF2レンズは、1936・1937年製というわけで、十分に古典レンズに分類できる。それだけに、絞り開放の描写は個性的である。しかし少し絞り込むことにより、きわめて通常の描写をするのも事実である。この個性的な部分を好むか、没個性の普通描写を使うかは、撮影者の好みによるところでもある。現代のレンズなら絞り開放から無難な描写を示してくれるだろうが、こういう時代だからこそ、少し外れた個性的な描写をあえて使ってみるのもおもしろい。ところでレンズの“ヤケ”は、コーティングそのものの元とになったということを思い出した。コーティングは現代のレンズにとっては不可欠な加工技術だが、コーティングが施されていなくても作例11のように色鮮やかに撮影できることもあるからおもしろい。一連の作例からすると嘘ではないかと思うほどの描写だ。そんな山があったり、谷があったりする描写をするのも古典レンズの楽しみでもある。発色がよければ、写真も良く見える。
