ライカに始まりライカに終わる · 連載コラム(市川泰憲)
第十回「ライカの故郷「ウェッツラーへの旅」」
1. 歴史・機構・蘊蓄(エッセイ・解説)

最近、僕のライカ仲間でひそかにはやっているのが『ライカの故郷ウェッツラーへの旅』だ。ドイツ・ウェッツラーは、かつてエルンスト・ライツ社があった町で、そこにはライカ生みの親であるオスカー・バルナックがライカの試作機である「Ur.ライカ」で試写した数々のウェッツラーの町並みや、近くにはエルンスト・ライツ家、オスカー・バルナック、レンズ設計者マックス・ベレークらのお墓もある。 機会あれば僕も行ってみたい。そんなライカへの旅に思いを寄せているときに、幸運にもドイツに行く機会に恵まれた。ウェッツラーの町はフランクフルトから列車で1時間ぐらいの所に位置するが、今回は写真関係の世界的な見本市である「フォトキナ」のついでに寄ったので、やはりフランクフルトから列車で1時間ぐらいの町ケルンから車で訪れた。ケルンからウェッツラーまでは約150km。途中アウトバーンを走り、約2時間ほどの道のりだ。
■Ur.ライカで試写された町並み
ウェッツラーは人口約6万人の町だが、ライカやカール・ツァイス、また鉄鋼業のブデラスなどとの大企業も多く、ホテルも充実している。まず見ていただきたいのは、現在のライカカメラ社創業の地であり、旧エルンスト・ライツ社の社屋【写真1】が今も残っていることだ。現在この旧社屋は、顕微鏡に特化しているライカ・マイクロシステムズ社と市役所が使っているが、屋上には大きくシンボルカラーの赤で「Leica」と記され、市内では大きな建物なので大変目につきやすい。旧社屋と市役所の間は空中廊下で結ばれており、かつてはどちらの建物もエルンスト・ライツ社が使っていた。この建物の間を「エルンスト・ライツ通り」【写真2】が通っている。
少し離れた一角には、1924年にエルンスト・ライツ2世とオスカー・バルナックが会議しライカの製品化を決意したという『決意の館』【写真3】があり、記念のプレートが埋め込まれている【写真4】。この建物自体は現在は市の施設で、集会場として使われているようだ。さらに旧エルンスト・ライツ社の社屋を望む小さな公園の路傍には旧社屋へ正対して「オスカー・バルナックの碑」が建つ。バルナックのレリーフ像がはめ込まれているが、よく見る研究室での顔とイメージは少し違う感じだ。雨に打たれた盛りを過ぎた白いアジサイと深紅のバラの花に囲まれて美しい【写真5】。

旧市街に入ると、オスカー・バルナックが「Ur.ライカ」【写真6】で撮影した歴史ある町並みはいま見ても美しい。そこにはオスカー・バルナックが1910~20年代にUr.ライカで試写した当時の写真のままの街角が今も撮影できる。
2. 操作方法・メンテナンス・修理のポイント
まずは有名な「洪水」の場面に行く。交差点広場に三角形のステンレスに、洪水の水位を示すレベルに赤く「Leica」と記された記念碑が建っている。この記念碑はライカマイクロシステムズ社が建てたそうだが、注意しなければ通り過ごしてしまうほどだ。訪問の記念撮影【写真7】に加え、ここではバルナックが撮影したであろう位置から同じアングルでライカM9でシャッターを切る【写真8】。バルナックの写した写真と比較すると画面左後方建物の窓が当時のままだ。この建物は裏に回ってみると1704年と記されている。

「アイゼンマルクト」【写真9】では、広場の正面に立っている建物前の石畳に立つとオスカー・バルナックが撮影した時代にタイムスリップしたような錯覚におちいる。さらに「エーゼル小階段」【写真10】では、雨が降っていたのが幸いして、路地に人がいる感じも、何となくオスカー・バルナックが撮影したイメージとかなり似た雰囲気で撮影できた。オスカー・バルナックがUr.ライカで写した100年ほど前の場所で、同じシーンを撮影できるのがドイツであり、ライカの精神にも通じるものなのかも知れない。



■ライカ御三家のお墓まいり
旧エルンスト・ライツ社屋から車で5分ほど東に下ると、エルンスト・ライツ家、オスカー・バルナック、マックス・ベレークら、いわゆるライカ御三家の人々が埋葬された墓地がある。いままで僕の友人でこの墓地を訪ねた人は何人かいるが、御三家すべてのお参りできた人はいなく、ほとんどは、大きなエルンスト・ライツ家のお墓を探し当てるだけで精一杯のようだ。墓地の入口には区分地図【写真11】がある。この地図の番号を目当てに行くと初めてでもたどりつくことができる。ただし、エルンスト・ライツ家のお墓【写真12】は大きく、明るいところに建てられているのでわかりやすいが、オスカー・バルナック【写真13】とマックス・ベレーク【写真14】のお墓は、少し奥まったところに自然石に夫婦の名前が記されているだけなので、簡単には見つからないので、辛抱強く探したほうがいい。そして、うまく見つけたら、お墓の前では軽く黙祷するくらいの敬虔な気持ちで接したい。

■ライカカメラ社の工場を見学
ウェッツラーの町から10km程のゾルムスという町にライカカメラ社の本社工場がある【写真15】。このライカカメラ社には、ライカファンならば一度は拝んでみたいライカカメラの変遷を示す「ライカツリー」と35mmカメラの原点である「Ur.ライカ」がある。ライカカメラ社の工場見学は毎週火曜日に一般公開されているので、あらかじめ予約を入れておけば可能だ。
門に入る前に見ると工場前の通りは「オスカー・バルナック通り」【写真16】と命名されている。玄関をくぐると、すぐ左右に中国の将軍像【写真17】が出迎えてくれる。その脇にはRマウントの1600mmF5.6【写真18】が置かれている。かなりの重量のようで、三脚でなく台座の上に鎮座している。聞くところによるとアラブの王子様の特注品で、3本製造し、もう1本はタイのお金持ちが購入した、残りの1本だという。
受付脇で「ライカツリー」【写真19】とご対面。しかしツリーの一番下には本物のUr.ライカは置かれていなく、ダミーモデルが置かれていた。本物は、いつもは銀行の金庫に大事にしまわれているとのこと。突然の訪問だし、過去1984年のドイツ博、2001年に日本カメラ博物館と2回もUr.ライカは日本に来ているので、まあいいかと納得。ライカツリーそのものは大きなガラスケースに入っており、ツリーの全体の寸法が大きく、ライカ1台1台をしっかり見るというより全体を見る感じなので、日本で考えていたより迫力はいまひとつだった。
工場内の作業現場は、見学用にきれいにガラス窓で区切られて見学コースが作られている。少し前に工場長が代わって見学の規則も変わったとかで、この時期から作業現場は撮影禁止だと伝えられる。それでも、レンズ設計、治具の工作室、非球面レンズの切削室、マニュアルフォーカスレンズのヘリコイドの摺り合わせなど、興味あるラインを見ることができた【写真20】。最後の工程ではライカM9の距離計を大型の立体チャートで細かく調整しているのが興味深かった。なんでもデジタルカメラは拡大してピントがすぐ分かるので、フィルムのM 型時代よりより距離計精度が高いそうだ。その奥には、X1、S2 の組み立てラインがあるというが、直接自分の目では確認できなかった。
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ライカの故郷ウェッツラーとライカカメラ社の工場見学、どちらもライカファンには見逃せない聖地観光スポットだ。今回は車での日帰りであったが、時間が許すならば、ウェッツラーの町に数泊して、じっくりと古い町並み【写真21】を、マイライカを提げてオスカー・バルナックになった気分で撮影してみるのもなかなかだ。町には、瀟洒なカフェやレストランなどもあり、ゆったりとした時が流れている。
