カメラ温故知新
ライカビットMPの三十年戦争 その壱
1. 歴史・機構・蘊蓄(エッセイ・解説)
ライカビットという「人力フィルム巻き上げそこ蓋」は、最近はライカM7用の「現行商品」が出て、その名声が低下しています。
この新ライカビットはその機構がベッサR2のラピッドワインダーを酷似しているので、私などは「コシナビット」と呼んでいます。
もともとのウエッツラー製のライカビットは報道写真がまだ光り輝いていた当時、つまり1950年代に、当時の報道雑誌(と書かねばならないほど昔のことになってしまいましたが)LIFEの偉いカメラマンが、それまで愛用していたライカ3Fに付けていたライカビットを、新鋭機のライカM3にも装着できないか、とライツ社にリクエストしたことからこの30年戦争の「災い」が始まりました。
もともとライツ社はそういうリクエストに応えるのは得意でしたから、よし来た!!とばかり、当時のライカスクリューマウント用のライカビットの横幅を広げた金属ケースに同様な巻き上げ装置を組み込んで、それをライカM3を改造したボデイに付けたのを、「プロ用ライカMP」として売り出したわけです。
噂によれば、ライカMPは当時はプロ写真家の証明がないと買えなかったそうです。
そういう真面目な売り方は今のライカ社の「売れることなら何でもする」というような限定版の乱発に比べれば、当時のライツ社は真面目であったなあ、と感心するわけですが、そういう真面目さが、そのまま後年のライツの経営の破綻につながったのですから、これは難しい問題です。
さて、そのライカMPは、もともとプロ用というのですが、もともと世間にはそんなにプロは多くはなく、そのマーケットリサーチのまずさから、ライカMPは数百台しか売れませんでした。
ライカMPは生産中止になり、その後、1957年に登場したのが、ご存じライカM2です。
ライカM2では、MPに付けられるライカビットMPはそのまま、無調整で取り付けることが出来ました。どうもライツ社では不良在庫をこれで一掃しようという目論みが見えて来ますね。
もともとライカビットMPを使うような報道カメラマンは「あまり周囲を見ない速写のめくら撃ち」のような軽薄連中が多かったので、ライカM2は35ミリのブライトフレームが付いていますし、それにライカビットMPを付けると報道取材などでは便利であったのでしょう。
事実、1960年頃のライツ社のカタログで、これは冬期オリンピックの勝者をインタビューしているカメラマンの群を選手を中心に上から撮影しているカットがあり、その中ではほとんどがライカM2にライカビットMPを付けているのです。その広告のコピーは「報道の第一線ではほとんどのカメラマンがライカを使っている」というような文句で、その後、世界のトップカメラになったニコンFなどは、ようやく画面の隅の方に1台写っているだけでした。
上の事情のようにライカビットMPのMPの「P」とはプロフェッショナルというよりもプレスと言い換えた方が当たっています。
私は若い頃、世界の有名写真家がどんなライカを使っているかを調べたことがあり、それで分かったのは、著名な報道写真家にはライカビットMPを使っている人も居るが、真面目な芸術写真家にはそんな「やくざな道具」を使っている人は一人も居ないという事実でした。
つまりライカビットMPをライカM2に付けたロバート・フランクやリー・フリードランダーはお笑い草なわけです。
30年前に私が買ったライカビットMPは13000円。
15年前に私の買ったライカビットMP+ライカM2ボデイ付きは20万円。
先月、私の買ったライカビットMPは単体っで30万円。
いやはや、高価になったものです。
その価格の高騰化は我々は1960年代の報道写真家がスーパースターであった時代の夢代金と思えば、いいわけですが、、、、、。
続く、、、、。
