カメラ温故知新
ローマでイタリアカメラの黄金時代を想い出した
1. 歴史・機構・蘊蓄(エッセイ・解説)
私はイタリアは良く来る方ですが、ローマにはなかなか来る機会がなくて、今回は15年ぶりのローマ訪問です。
イタリアの工業生産物はその優秀なデザインで世界に知られています。
ローマの町中で、ふと目をやると走り去って行くフェラーリの塗色が、日本などで良く見掛けるフェラーリカラーの赤ではなく、落ちついた紺色であったりするのを目にすると、ああ、やはりこの国はお洒落な国だなあ、と思います。
欧州のことは各国とも割合に良く知っている自分にしても、イタリアが男性がお洒落であるのは論を待ちませんが、特に中年男性がお洒落で、しかもスーツ姿が決まっているのは町中に見掛ける中年男性を無差別に週出しても、これは本物だ!と肯定できる点です。
一体何が違うのであろうか、と考えてその人種の違いがこれはまあ仕方ないから無視するとしても、その原因を考えるに、どうも彼らのスーツの仕立ての良さがその見栄えの良さに通じるのではという点にも気が付きました。
例えば、ランチに出かける三人のローマンのおじさんが居て、その後ろ姿を見るに、それぞれの男性がそれぞれの個性を主張しているのです。
日本だったら、三人のオヤジが定食屋の昼飯の行列に加わっている時など、すべてがどぶ鼠色のスーツに還元されてしまい、aとbとcとの区別が付かないわけですが、日本の場合、サラリーマンさんのスーツというのは、自分を主張するというよりも自分を隠す為の隠れ蓑的な要素がありますから、これはお国柄の違いというものでしょうか。
そのイタリアは1950年代にカメラの一大生産国であった事実はあまり知られていません。
その大半は、工業都市が集中する北イタリアの産であり、主にミラノで造られていました。
イタリアのガリレオ社、つなガリレオ・デ・ミラーノの頭文字を取って生まれたブランドのガミは一番有名です。これは50年代の世界で一番、精密な16ミリフィルムを使用する超小型カメラでした。ガリレオ社は各種撮影レンズや光学機器、他にも各種のカメラを生産していました。
もともとローマ人とミラノ人はあまり仲が良いわけではなく、ミラネーゼに言わせれば「あんな松と遺跡しかない死んだ街ローマ」とローマを批判しますし、ロマーナに言わせれば「イタリアというよりミラノはパリの出先のようなもので、ミラノはイタリアじゃない」とまた応報します。
そのローマの松と遺跡しかないローマにも50年代には立派なカメラがありました。
レクタフレックスがそれです。
これは精密なシステムカメラで、しかもイタリアでかつて生産された唯一の一眼レフという注釈の付くのが、このカメラの特徴です。
私はそのレクタフレックスのコレクターでもあるのです。
実はイタリアは1950年代の後半に日本製一眼レフがその王座を獲得するまで、アメリカ市場ではドイツ製のエキザクタと並んで、一眼レフと言えばドイツかイタリアかという黄金時代を築いていたのでした。
今回、そのレクタフレックスの本社の在った場所、シシリー通り162番地を再訪しました。今は別の会社になっていますが、意外であったのはその場所は、ローマの最高級なお洒落の街であるベネート街のすぐ東にあったことです。
日本でカメラ工場と言えば、東京の南北の町はずれがその創業の地というのは通り相場ですが、ローマはその点でも意外性がありました。
それで持参したレクタフレックスの里帰りということで、ローマのあちこちをくだんのカメラで撮影したわけです。
それにしても、ローマのスーツの似合う男達の生産していたレクタフレックスが、極東のスーツの似合わない男達のカメラメーカーに滅ぼされてしまったわけで、栄枯盛衰は何もローマの歴史だけではないのだ、ということにも気がつきました。
