カメラ温故知新
田中長徳のカメラ温故知新 vol11 ライカMPの「無責任」
1. 歴史・機構・蘊蓄(エッセイ・解説)
もう20年前のことですが、ライカM6が登場した時、当時のカメラ雑誌に私はライカユーザーの先輩風を吹かせて「警告」をしたことを想い出しました。
1984年のことです。
1971年に新時代のライカを標榜して登場した「角の角張った」ライカM5が振るわないので、ライツはまたも旧モデルの両側が丸いライカを細々と生産していたわけで、その系譜はM4−2、M4−Pと続いて、そのクラシックなMモデルのボデイにTTLのメーターを内蔵したのがM6であったことは言うまでもありません。
その当時、M4やM3やM2などをまだ現役ライカ感覚で使用していた気鋭の写真家、ジャーナリストは沢山居たので、20年前の私は「本当のライカの操作感覚を楽しむにはM6ではだめだ。ライカMのクラシックモデルをお使いなさい!」とぶち上げたのでした。
というのは20年前にライカ道に目覚めた当時の若いライカ人類は、当時のM6の操作感覚しか身体が覚えていないので、ライカM6をもって「素晴らしいライカの手触り」などと勘違いされることは、ライカ道の重大な誤認であると考えたからなのでした。
まあ、当時の私のシュプレヒコールに賛同してくれたライカ人類も相当数居たわけですが、あれから早、20年の時が経過しているのです。
当時20代の半ばであった紅顔のライカ人類は、もはや50歳のライカシニアのカウントダウン状態にあるわけですから、これは時間の経過の速さに驚かざるを得ません。
ところで昨年から今年にかけて、またまたライカ社の無責任状態とでも言える状況が出来しました。
ライカM6TTLに「手を入れたライカ」をライカMP−6という名前で限定販売して、その東京での発売前夜には私の友人なども、歴史的なMP−6を買おうとして徹夜の列に並んだ親孝行な人も居たのですが、それを売り切ったと思ったら、今度は即、ライカMPと称するライカをライカ社が出したのは、ご存じの通りです。
ちょっとやりすぎでは無いか!
憤慨したのは旧ライカ人類連中でした。
ライカMPという名前のライカは、言うまでもなく1950年代の後半に400台ほど限定生産された、ライカビットMPという巻き上げ装置を装備した、報道関係向きの特殊ライカで、その稀少性ゆえに3−4万ドルの市場価値のあるレアライカである、というのは、ライカ人類の常識ですが、そこにまったく同じモデル名、つまり「MP」という新形モデルを出して来たライカ社の商品戦略にはちょっと理解できません。
本来はコレクターズアイテムである本家ライカMPに対してMP−2(いえ、このモデルはすでに存在するので適当ではありませんが)とかMPマーク2とか(これも冴えないネーミングですけど)まあ従来の歴史的なMPとは異なるモデルであるという区別を付けるのがメーカーの責任として、当然だと思います。
それを昔のMPと同様な型番をつけて売るのは、どうもその歴史が世界第一のカメラメーカーとしての自負に欠ける所があると思います。
昔のMPでも今のMPでも同じMPですから、そこに混乱が生じるのです。
MJチョートクカメラ日記のBBSなどで、常連さんの書き込みで「ライカMPが欲しくて云々、、、、」などは、最近出来たM6もどきのライカであることはすぐに分かりますけど、E−BAYのオークションの出品で「ライカMP、、、、」と出品されると、もう一々そのウエブにアクセスして見ないと、なかなか判断がつきません。
以前、ツアイスが戦前の二眼レフのコンタフレックスと戦後のレンズシャッターのコンタフレックスと、同じ名前にしてカメラ人類の顰蹙をかった以来の、これは「不祥事」です。
あと数年も経過したらライカ社は「世界でただ一社だけ、銀塩カメラを生産している名誉あるメーカー」になるかも知れないのですから、しっかりやってくださいよ、コーン社長!!
