レポーター(イメージ)
ダブルカメラとよばれています。
本当に2カメラの合体状態ですね。 |
二眼レフのルーツ
ここで、二眼レフのルーツをたどってみます。
二眼レフは上下にほぼ同じ大きさのレンズが並んでいる、いわば二階建てのようなカメラですが、二眼レフの祖先は、このような二階建てカメラのようなものだったといわれています。
これはロンドンのレポーターというカメラで、制作されたのは今から130年ほども前の1872年でした。
当時写真を写すには、まずピントグラスをのぞいて構図を決め、そしてピントを合わせてから取り枠を差し込み引き蓋を引いてシャッターを切る、という…なんとも1枚撮るのに息切れするほど手間がかかりました。被写体が動かない場合を除き、あっと気付くともう何もいないという困難な状況が普通
だったのでしょう。
これじゃいかんということで考えられたのが、この二階建てカメラでした。これによって上記の手間の「取り枠を差し込み引き蓋を引いて」の部分が省略されたのです。
レポーターにはまだ内部のミラーがなかったため二眼レフではありませんでしたが、ここから一般的な二眼レフの形に改良されるまでそう時間はかからないのです。
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クラウドカメラ(イメージ)
二眼レフのプロトタイプともいえます。 |
クラウドカメラ
1880年頃、ロンドン郊外にある気象台の職員が雲の写真を写すために、ダブルカメラの上のレンズの後ろにミラーをおくことを思いついてはじめて"二階建てカメラ"にミラーが取り入れられました。確かにピントグラスを上からのぞきこむ形をとれば、空を写そうと思えばまっすぐ見ればいいわけで、かなりひらめいてますね。
このカメラはクラウドカメラとよばれ、上下のレンズを中央の同じ歯車によって動かしてピントをあわせるものでした。これが後にギアかみ合わせによる二眼レフの祖先となったと考えられます。
このミラーの採用によって、ピントグラスに写る像は倒立から正立となったのです。
ただやはり、まだまだ大きすぎて実用的とはいえないものであったし、その大きさゆえに生じるパララックスは無視できるものではなく到底近接撮影に向かないことはいうまでもありませんでした。 |
ツインレンズグラフィックス(イメージ)
グラフレックスを彷佛させる洗練されたボディ! |
アメリカの二眼レフ
1840年にはニューヨークでダゲレオタイプの写真機などを製造していました。イギリスなどを中心にヨーロッパで大型二眼レフが登場しはじめると、アメリカでも1900年頃から大型二眼レフが製造されるようになりました。
1901年に発売されたツインレンズグラフィックスペシャルは二眼ではあったものの、ピントグラスがハンドカメラのようにボディー後部についていて、フレックスにはなっていませんでした。
そのピントグラスの位置を改良して二眼レフにしたのがツインレンズグラフィックスでした。
これは後の一眼レフ、グラフレックスの先駆けとなったものです。 |